生存記録
僕にあったことを忘れないための目印……
個性
- 2013/02/21 (Thu) |
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ちょっと間が空きましたね。
色々あったんです、稽古の事で^^;
色々あったんです、稽古の事で^^;
月曜日、ここが精神的にピークでした。
私が好きな相手役の子が私(役)に興味がない……図じゃないとわかりにくいですね……
ようは片想いのように思えてしまって、で、相手役の子も扱いに考えあぐねていたようで……
彼の言葉が足りないので「なるべく近づきたくない」という言葉に うわあああああ となってしまった。
彼には彼の意図があっての事、表向きはそうだけど本心では~というのが、自分で一杯一杯の私にはわからず、涙目。
で、彼の方はまた「言わなくてもわかってるかと思って・・・」ということですれ違っていた模様です。
その後さっくり話し合って、一応得心がいきました。
ただ、追い打ちをかけたのがG君のお言葉。
大体以下のようなことを言われたわけです。
「M(相手役)は感覚で作る役者。
君はテキスト(台本)から作りこんでいく役者。
かっちり100%作りこんでしまうと、感覚タイプの役者と掛け合うとズレが生じてしまう。
だから、俺の場合は全部は作らない。
”最低限”だけ決める。」
「テキストから読み取ることも大切なんだけど、それだったらお客さんにテキストを配ればいいわけじゃない。
何で役者が演じるのかと言えば、役者によってその役が違ってくるからでしょ?
その人らしさっていうのがおもしろいんじゃない。
それが今の君からは見られない。
確かに A(私の役名) ではあるんだけど、そこに君が見えないんだ。
時々”このシーンではどう思ってる?”とか聞かれると思うけど、そこでテキストから答えを拾うだけじゃなくて、君がどう感じているかを聞きたいこともあるんです。」
いやーG君の言葉があまりに図星でね……
「Aという枠にはまろうとして、それが苦しそうに見える」
と、言われて「あ、私演じてて楽しくなかった」と認識しました。
泣きたくないんですけどどうにも無理で。
言ってくれてありがたかったし、私のことをおもっての言葉だとは重々理解しています。
ただ、それでも、今までの自分のやり方の欠点を知ってしまって、じゃあどうしたら「私」が出てくるんだろう、というのがわからなくなってしまった。
楽しいって、どうしたら楽しく演じるの?
何が”楽しい”なの??
とパニックになってしまって、風呂場で泣きました(;ω;)
もともと「他人になりたくて演劇を始めた」私。
(そんなに自覚してなかったけど)より役らしさをさぐるために、台本から人物像をイメージする。
大体テンプレートな人物像ができて、まあ結局演じるのは私だから私になるなーとずっと思ってた。
自分を目立たせるっていう意識はいつもなかった。
自分が演じるというのがいつも意識にあって、客視点が抜けていた(と今ではわかる)。
だから「人間味」がない、と言われ続けてきたんですね。
こえ部だと結構「私ならこう読むね!」というのをしてきたつもりなんですけどね…意識してたわけじゃないんで^^;
火曜日、通し稽古。
前日にボロボロ泣いたので頭痛をかかえたままでした。
どうしたら「私らしい」「自分を魅せる」とかわからないけど、「とにかく今日は楽しもう!」とだけ決めていざっ。
そしたら「今日ね、近づきやすかったよ。感情豊かだった、人間っぽい!どうしたの?」と親友役に言ってもらえました^^
G君からも「今日調子いいじゃないすか」と言われました。
だから、ちょっとわかった気がします。
水曜日、通し稽古のビデオをみんなで見る。
完成度の低さに空気が重くなる。
「話し合いが目的になっている。話し合った成果がない、いかされていない。それだと話し合うことに意味があるのかと疑ってしまう。」
「みんな仲が悪いように見える。近づくのが怖い」
まぁそんな暗い雰囲気になったところを1年生にブレイクしてもらったところで、演出からのお言葉。
「役者って楽しいんです。責任は演出がとるから、みんなは楽しんで。楽しんで演技をして。」
何人か泣いてしまって、「ああ、このメンバーでできてよかった」と私は思いましたね。
木曜日、久しぶりに広いところで練習。
相手役が照れてて面白かった!以上!
私が好きな相手役の子が私(役)に興味がない……図じゃないとわかりにくいですね……
ようは片想いのように思えてしまって、で、相手役の子も扱いに考えあぐねていたようで……
彼の言葉が足りないので「なるべく近づきたくない」という言葉に うわあああああ となってしまった。
彼には彼の意図があっての事、表向きはそうだけど本心では~というのが、自分で一杯一杯の私にはわからず、涙目。
で、彼の方はまた「言わなくてもわかってるかと思って・・・」ということですれ違っていた模様です。
その後さっくり話し合って、一応得心がいきました。
ただ、追い打ちをかけたのがG君のお言葉。
大体以下のようなことを言われたわけです。
「M(相手役)は感覚で作る役者。
君はテキスト(台本)から作りこんでいく役者。
かっちり100%作りこんでしまうと、感覚タイプの役者と掛け合うとズレが生じてしまう。
だから、俺の場合は全部は作らない。
”最低限”だけ決める。」
「テキストから読み取ることも大切なんだけど、それだったらお客さんにテキストを配ればいいわけじゃない。
何で役者が演じるのかと言えば、役者によってその役が違ってくるからでしょ?
その人らしさっていうのがおもしろいんじゃない。
それが今の君からは見られない。
確かに A(私の役名) ではあるんだけど、そこに君が見えないんだ。
時々”このシーンではどう思ってる?”とか聞かれると思うけど、そこでテキストから答えを拾うだけじゃなくて、君がどう感じているかを聞きたいこともあるんです。」
いやーG君の言葉があまりに図星でね……
「Aという枠にはまろうとして、それが苦しそうに見える」
と、言われて「あ、私演じてて楽しくなかった」と認識しました。
泣きたくないんですけどどうにも無理で。
言ってくれてありがたかったし、私のことをおもっての言葉だとは重々理解しています。
ただ、それでも、今までの自分のやり方の欠点を知ってしまって、じゃあどうしたら「私」が出てくるんだろう、というのがわからなくなってしまった。
楽しいって、どうしたら楽しく演じるの?
何が”楽しい”なの??
とパニックになってしまって、風呂場で泣きました(;ω;)
もともと「他人になりたくて演劇を始めた」私。
(そんなに自覚してなかったけど)より役らしさをさぐるために、台本から人物像をイメージする。
大体テンプレートな人物像ができて、まあ結局演じるのは私だから私になるなーとずっと思ってた。
自分を目立たせるっていう意識はいつもなかった。
自分が演じるというのがいつも意識にあって、客視点が抜けていた(と今ではわかる)。
だから「人間味」がない、と言われ続けてきたんですね。
こえ部だと結構「私ならこう読むね!」というのをしてきたつもりなんですけどね…意識してたわけじゃないんで^^;
火曜日、通し稽古。
前日にボロボロ泣いたので頭痛をかかえたままでした。
どうしたら「私らしい」「自分を魅せる」とかわからないけど、「とにかく今日は楽しもう!」とだけ決めていざっ。
そしたら「今日ね、近づきやすかったよ。感情豊かだった、人間っぽい!どうしたの?」と親友役に言ってもらえました^^
G君からも「今日調子いいじゃないすか」と言われました。
だから、ちょっとわかった気がします。
水曜日、通し稽古のビデオをみんなで見る。
完成度の低さに空気が重くなる。
「話し合いが目的になっている。話し合った成果がない、いかされていない。それだと話し合うことに意味があるのかと疑ってしまう。」
「みんな仲が悪いように見える。近づくのが怖い」
まぁそんな暗い雰囲気になったところを1年生にブレイクしてもらったところで、演出からのお言葉。
「役者って楽しいんです。責任は演出がとるから、みんなは楽しんで。楽しんで演技をして。」
何人か泣いてしまって、「ああ、このメンバーでできてよかった」と私は思いましたね。
木曜日、久しぶりに広いところで練習。
相手役が照れてて面白かった!以上!
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